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執筆者の写真nagoya2000

「丸栄」6月末に閉店-栄のこれからを考える

更新日:2020年6月27日


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皆さんは「丸栄」に対してどんな思い出がありますか?

丸栄百貨店は栄の一等地に位置し、市民から名古屋市内にある主要な百貨店4M(松坂屋、丸栄、三越、名鉄百貨店)の1つ。丸栄の前身は、1615年発祥の十一屋で、名古屋を代表する地元資本の百貨店です。

そんな丸栄が今年の6月1日をもって閉店することとなりました。跡地には周辺の商業施設を含んだ一帯再開発が予定されています。

丸栄の歴史と閉店への道のり

 

丸栄は、1615年の清洲越しにより、名古屋城が移城したのをきっかけに、小出庄兵衛が十一屋の称号で尾張藩の御用達として、小間物商を始めたのがその起源です。その後、1915年に栄町に進出し、呉服屋から百貨店へ業態転換を計ります。ちなみに名古屋市港区の十一屋町は、十一屋の創業者、小出庄兵衛がこの地を所有していたことを由来としています。

戦中においては、政府による百貨店規制により、競合であった百貨店三星と合併し、丸栄が誕生しました。

空襲により、本館を含めた多くの建物が損害を受けた丸栄は、名古屋の戦後復興、名古屋の都市計画と息を合わせるように、経営を多角化を行い、名古屋を代表する百貨店となっていきました。

しかし、バブル崩壊やリーマンショックなどにより、業績が悪化。2017年には興和の完全子会社となり、ビルの耐震性に課題があることなどを理由に、本館も閉店し、再開発をする方針が決定しました。

日本建築学会による本館の取り壊し中止要請

 

閉店が決定した丸栄本館は百貨店で唯一日本建築学会賞を受賞していて、貴重なモダン建築であることから、日本建築学会は取り壊しの中止を求める要請書を提出しました。

丸栄本館の壁画

多くの市民から閉店を惜しむ声相次ぐ

 

また、丸栄は名古屋の発展を象徴する存在で、多くの名古屋市民から閉店を惜しむ声が相次いでいます。名古屋の落語家、雷門福三(かみなりもんふくぞう)さんも丸栄の閉店についてその心境を語っています。

 

「見栄っ張りだけどのんびりした田舎っぽさもある。そんな名古屋人の二面性を、前者を松坂屋、後者を丸栄に投影してキャラクターづけしてあるんです。丸栄がなくなってしまうのは、どんどん東京化が進んで本来の名古屋らしさが薄れつつあることの象徴のような気がします」2017年12月19日 YAHOOニュース 【名古屋の百貨店・丸栄閉店を憂う意外な人々】

 

丸栄は名古屋の発展と200万の市民の象徴でありました。また、丸栄の閉店は栄衰退、名駅一極集中を加速させる、そんな声も上がっています。

丸栄の閉店は百貨店一強時代の終焉を象徴

 

しかし私は、丸栄の閉店はある意味「致し方ない」側面もあるのではないかと考えます。丸栄の閉店は栄が衰退しているからではなく、百貨店全体の衰退を象徴しているのだと思います。

というのも、丸栄の競合である三越や松坂屋も苦戦していて、名古屋高島屋の一強の状況になってはいますが、これも、名駅一極集中だけが原因であるとは思えません。去年オープンした高島屋ゲートモールはユニクロやGUをはじめとした若年層向けのテナントを入れるなど、従来の百貨店とは全く違った営業戦略を展開したことが、高島屋一強の体制を作り出したとも言えます。

また、全国に目を向けても西武船橋西武小田原の閉店や三越千葉の閉店など東京圏の大都市でも百貨店の閉店が相次いでいます。

これは、従来の百貨店の営業戦略が時代の流れについていけず、取り残されていることを意味しているのだと思います。

百貨店に行ってもブランドの高級服ばかりで、買うものがない。それよりもっとおしゃれで低価格な店舗が多く入る商業施設に行きたいという声が多くあがっているのです。

これは大都市圏に限らず、地方都市圏となると更に顕著に現れており、例えば釧路市では郊外にイオンモールが進出したことなどを受けて丸井今井をはじめとした全ての百貨店が閉店するなど壊滅的な状況です。

しかし、このような百貨店に逆風が吹く中で、栄の百貨店が全く手を打っていない訳ではありません。

2005年、名古屋三越は新業態の商業施設ラシックを栄3丁目に開店、大丸松坂屋は今年4月、日生ビル跡地で栄交差点の一等地に従来の百貨店とは違う、新業態の商業施設を建設することを発表。また栄メルサもGUやユニクロ、インテリア雑貨店のKEYUCAを核テナントに入れるなど、従来の百貨店路線から転換し、巻き返しを進めている。

その中で丸栄だけが、その流れについていけなかったのです。その結果、店舗面積の大部分を占める衣料品売り場の売上が大幅に減少し、全体に大きな打撃をもたらしました。

丸栄の閉店は時代の変化、ひいては栄の変化を象徴しているのです。

モダニズム建築を活かし、周辺と融合した栄を象徴する新時代の再開発を

 

丸栄は前途の通り百貨店で唯一日本建築学会賞を受賞した建物であり、数少ないモダニズム建築の1つです。中でも側面に描かれているモザイク壁画はそれを象徴しています。

このような建築物が解体されることは非常に惜しいことですが、名駅一極集中時代において、栄の求心力を取り戻すためには、周辺を巻き込んだ大規模な再開発をする必要があると思います。

しかし、再開発においては、歴史や文化のない、ガラス張りの高層ビルにしてしまうのではなく、名古屋を象徴する丸栄の精神を尊重した、新たな時代の建築物の建設が必要とされているのではないでしょうか??

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まとめ

 

名古屋を象徴する百貨店、丸栄の閉店には、市内外から閉店を惜しむ声が相次いでいます。日本を代表する都市である名古屋を象徴する百貨店が閉店することは、日本の百貨店、まちづくりが、まさに転換期に入っていることも示しています。

ガラス張りのビルに、ユニクロやGUなどの大型チェーン店が人気を集める。どこの都市もその都市の「個性」が失われ、同じような姿に変容していってしまう「都市の均一化」が進む現代において、そのような多くの顧客のニーズに合わせながら、その地の歴史・文化を継承するまちづくりをしていくためには、どのような努力と取り組みが必要なのか??東京まで40分、大阪まで20分、3大都市圏が1つに繋がる新時代において「名古屋らしさ」とは何か??それを名古屋に関わる全ての人がもう一度考える時が来ているのではないでしょうか?

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